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グレイテスト・ショーマン

今日は考えるだけでも、というおはなしを。

さっき「グレイテスト・ショーマン」という映画を観た。

地上波初だそう。

こういう時代の映画はあまり好んで観ないのですが、英語の教材のつもりで途中から見始めたら良くて、最後まで観てしまった。

育ちの格差のある主人公が時を経て自分の思い描くエンターテインメントの場所を創りあげるミュージカル調の物語。

色んな人種、見た目の差別に苦しめられた人達が自分が輝ける場所を見つけて生き生きとパフォーマンスする姿がとても美しく見えた。

歌もステキでなんか見入っちゃったな。

このサーカスのようなショーを観た観客達は凄く楽しんで喜んでいるけれど、大半の人間には受け入れられずに化け物のように扱われ、デモのようになり、「出ていけ!」と。

親にも存在を隠され続けた、という彼ら。

サーカスは俺たちのホームだ。

生きる喜びをもらったと言っていた。

それとは真逆の上流階級の宴。

オペラ歌手の素晴らしい歌声に上流の歓声が湧く。

高貴なパーティーにサーカスメンバーが入ろうとした時、主人公が上流人間達に見せないように、入る事を禁じた所が切なかった。

味方だと信じていた人にも、恥ずかしいと存在を隠された後の、怒りのような歌が力強かった。

サーカス系のごった煮のショーと、高貴なオペラのショー。

上流階級の差別的な目と言葉がサーカスの人たちの心を突く。

この目と言葉に何度傷つけられたんだろうなぁ、と、想像した。

最後のシーン、サーカスのような、「アレグリーヤー」(←名前忘れた)のような、ごちゃ混ぜに色んな物が出てきてるのに感動的にまとまっていて、なんだか、感動で涙がでた。

良かったな。

色んな偏見での差別は今も消える事なく続いているのだろうけれど、この映画が何かのきっかけになればなぁ、なんて思いました。

根深く続く差別、偏見は多分この映画を観た位では何も変わらないんだろう。

でも、たとえ変わらなくても、一瞬立ち止まって「考える」、だけでも、その後の発する言葉の選び方が変わるのではないかな、なんて思った。

「最も崇高な芸術は人を幸せにすることだ」

最後に画面に出た言葉が印象的だった。

観ないで通り過ぎてたものにも感動ってあるんだね、というお話でした。

おかえりなさい。

今日もお疲れ様でした。

2025年3月28(金)まだ28日ね。

今は夜中の0時50分

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