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情熱

只今夜中の5時39分。

畳の部屋で寝てた。

座ったら寝てしまうのだから、と分かっていてしゃがんでしまう。

いつもの事ながら書く事がない。

! 

ネタ帳を探して、前に書いておいた話を今日はのせます。

3月14日に書いておいた話。

今日のラジオで聞いた、お母さんに心配をかけた事。あったかな?、と考えて、特にないなぁ、と遡った記憶の中で1個見つけた事。長いです。

↓ ↓ ↓

今日はパッションはどこからやってくる?というおはなしを。

普段、特にキテレツ的な行動をしていない私ですが、ごくたまに動く時がある。

家族に、アイツ普段はじっとしてるけど、時々突拍子もない行動するよな、と言われる。

そこまでの行動ではないが以前1人でドイツに行った時もそう。

あるものがどうしても見たくなり、

「そうだ、ドイツへ行こう」となった。

そこで見れるかどうか分からない、でも見れたらラッキー、ぐらいの感覚でドイツへ。

たかだか10日ちょっとの小旅行。

しかし、お母さんになんて切り出そう。

それが1番のネックだった。

心配性のお母さん、きっと反対される。

ドイツ語など話せないし、分からない。

誰か知り合いがいるわけでもなく、ツアーでもない。

ただの単品1人旅。

アメリカならOKが出そうだが、ドイツなんて異国中の異国。

話してみると反応は意外と普通で、もの凄く驚く訳でもなく、「大丈夫なの?」と。

心配は100あるけれど、恐らく反対したとて聞かないと思ってるのか、まあ大丈夫でしょと思ってるのか、真の心は分からない。

意外とすんなりだったので、逆に「私ドイツ行くの?え?まだ何も決めてないし、どうやって行くの?」になる。

ネットでサクッと取ればいいか、となり、まず飛行機を、と。

パスポートもないとなり申請へ。

近くに旅行会社があったので飛行機だけはやっぱりちゃんとした会社で取ろうとなりチケットを。

ホテルはネットで取るつもりだったが飛行機の手配をしてもらってる内にホテルもそこで取る事に。

安心安全をとっておこうという判断。

と、バタバタに支度をして、バタバタの出発の日が来て、お母さんも何故か一緒に成田まで着いて来てくれて、ギリギリに成田に着いて、係りの人と一緒に走ってギリギリに飛行機に飛び乗った。

と、そこから長時間の「じっとしてなきゃタイム」を経て、経由のどこか空港に到着。

添乗員さんが居るわけではないので、どこに向かっていいのか分からない。

「ドイツ〜ドイツ〜」だったら、「ああ、ドイツに着いたな」となるが、ここは「ドイツ〜」ではない。

どこか空港、で、ただの経由の場所。

機内には日本人が多かったから忘れてたけど、降りてみると周りに日本人など1人も居なかった。

あの時困ったなぁ。

今までバタバタに事が進んで流れでここまで来たけど、あれ?となった。

ここで初めて我に返った、といった感じ。

ドイツ語なんて話せないよ、どうすんの?

まずいぞ、となり、「一旦落ち着こう」となる。

で、壁に行き、何故ここに来たのか、今どうゆう状況か、そしてどうすればいいのかを少し考えた。

と、ボードのような物を見つけ、経由で降ろされたからあの時刻にあの便で行けば着くはずだ、となり係りの人にこの便で合ってるかの確認をして飛行機に乗って無事ドイツ入り。

ここからはタクシーに乗り、ホテルへとすんなり。

もう夜だし、明日お母さんに電話すればいいか、となって次の日に電話をすると、物凄く心配をしていた。

怒る、という事はなかったが、お父さんが物凄く心配してて、電話ぐらいしろって怒ってるよ、と。

いつも心配、とか見せないお父さんが心配するなんて、ホントに心配をかけていたんだな、と反省した。

自分の事で頭がいっぱいでここまで来てたけど、待ってる人はずっと心配の中に居たのだなぁ、と思った。

今回の旅でラッキーな事に、見たいと思っていたものはちゃんと見れた。

見たからどう、って事ではないが、無理だな、と思っていた1人ドイツも意外と旅行位ならなんとかなったな、となる。

先が決まってないけど、言葉に出すと意外と周りの人の助けで目的地まで連れてってもらえるんだなぁ、と思った。

いつも助けてもらってる♪

ありがとう。

報連相ってすっごく大事、というお話でした。

おかえりなさい。

今日もお疲れ様でした。

2025年4月13日(日)まだ13日

今は夜中の6時45分

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