只今8時20分。朝。
さっき書いたもの、載せた後に読んだのですが、中華屋さんの話とミュージカルで働いていた方達の話とは違うものだ、という事は伝わってたかな?となったので書いておこ。
今日は違う箱、というおはなしを。
中華屋さんは「日常」であって、終わることのない永遠に続く生活。
ミュージカルでの会場内仕事は、異空間、非現実の中での非日常的な体感、体験ができるという夢の1日をもらっている、参加型エンタメでの「非日常体験」。
大人版キッザニア。普段見ることができない現場会場内の雰囲気を、現場の提供側に立って体感する体感型エンタメ。
一緒に作ったね、という思い出づくりなのかな。
これは参加したい人が手を挙げて参加するもので、動く代わりに普段味わえない体感をもらうもの、かな。
これは全然違うものなので「労力」、という同じ商品として考えないでほしい、というのか・・・。
私の思ってる事、伝わってるかな。
・・・この説明、いるかな?と思いながら書いてるけれど。
昨日の文章をさっき読み返してみて、私が思ってる事、ちゃんと伝わるかな、文章変だったりしてないかな?と思ったので。
ミュージカルでスタッフ?をした方の記事を読んだ後だったので、その内容に自分が引っ張られてたらヤだなぁと思って。
意味不明?
その方の記事を読みたい人は西野さんのXに載ってる記事でご確認を。
最終日の打ち上げ酒場で「星の歌」をみんなで歌ってる映像を見て泣けたのは、そこで汗を流した人達の楽しい、感動した、といった沢山の感情が見れたからなのかもしれません。
うらやましいな、もあったりしてて。
昨日の夜中にあの映像を見たらまた泣けた位です。
頭にある感情と、それを文字にするのって、受け手の感覚でいくらでも変わってきてしまうような気がするので伝え方って難しい。
昨日のお婆ちゃんの件、ラーメン屋さんの件なんですが、ただラーメン屋に立ってみんなと働くのは楽しいし、彼女のやりがいにもなってるのだろうけど、高齢だから当然のようにマスクをしてて。
マスクを付けるのが当たり前の日常になってて、冷房が付いてる店内と言えど厨房はかなり暑い空間で、そこで洗い物、野菜カット、大きな炊飯器からの炊きたてご飯のさばき・・・などなどを一員としてさせ続ける事はいいのかどうか。
途中離脱で客席に座ってしまった時に
「お婆ちゃんのちょっとごめんが出たらしょうがないね・・・」と周りの家族が厨房で話していた。
家族もいつまで店に立たせるのかの迷いがあるのかもしれないけれど、家族経営って他人を雇うと違うからゆるいんだろうな、と思ってしまった。
誰かの負担で成り立ってるのって、なんか見てて辛くなる。
誰が悪いという話をしたいのではなくて、みんな楽しく幸せに生きててほしいなと思うだけです。
マスクはいつまで?というお話でした。
おかえりなさい。
今日もお疲れ様でした。
2025年9月2日(火)今は11時39分。午前中。