↓↓↓お昼に書いたもので、まだ投稿してなかった。
とても長いので飛ばし飛ばしを。(2時57分今夜中)
只今12時28分。
お昼。
今日は悔しくてボロ泣き、というおはなしを。
西野さんブログを読んだ。
「河口湖音楽と森の美術館」での美術館再生事業に関して、ある人からの投稿。
美術館の変革に怒っている様子。
「ニヤニヤ顔で・・・」という1文に、この人の感情が乗ってるなぁ、と思った。
今日、XでVoicy生配信を見つけ、途中から聞いていた。そういった人からの誤解に対してのリスナーからの問いに、「慣れた」と返答する西野さん。
新しい業界、場所でゼロから始めるたびに、いつも誤解を生み、慣れた、になってしまうのかな。
慣れた、かぁ、と思った。
慣れた、って本当にあるのだろうか。
その地で飲み会を開いては理解を求める地道な前進を続けてきたのだなぁ、と思った。
この投稿には、
【言いたくはないが、ほんとエンタメのやつらはろくでもない。】
【事業承継したはずなのに、早速その事業のメインの資産を無価値に帰していた。】
【100年前の貴重な全自動楽器たちをゴミ同然に扱い、自分たちのエンタメの背景にすり替えた。】
という文章が続いていた
●プペルチーム
●エンタメのやつら、という言葉。
●100年前の貴重な全自動楽器
●事業継承
●事業のメインの資産
【ここは11歳になる息子が楽器を認識できるようになってから足繁く通い、もう10回以上訪れている。】
と書かれていたので、近所に住む地元のお客さんかな、と思っていた。
でも、読み始めてすぐに1人の女の人が頭に出てきて、関係ないと思うのですが、なんでこの顔がずっと頭に浮かんで来るのだろうか???
ココに、近所に住む美術館運営に近いような女性が浮かんできてしまった。
この投稿文を読んでいると、その女性が浮かんでくる。
美術館に近いような女性が頭から離れない。
ただの近所の美術館利用者がそこまでの敵意をむき出して他の同情を誘うものだろうか、?という疑問が。
これはなんだろ。
近所の主婦にしては、美術館運営のワードがあまりにも多い。
プペルチーム・・・チーム・・・ただの近所の主婦がこのワードを使うものなのか、?、やたらと詳しいな、と。
この事業再生の変革を食い止めようとしてるのか、西野さんの印象を少し悪い人よりに傾けて、何かしらのこらしめをしたいのか、これ以上変えさせないように賛同を集めたいのかな。
これは、私個人のただの勘ぐりであり、正しい推測とは言えない。
ただの私の思い過ごしと、考えなだけで。
1つ言えるのは、
この女性が言う「エンタメ」に詳しくない舵取りが運営してきた何十年の「つけ」を、見直し、正しい運営法を考え、足を運び、近隣の人、河口湖周りの方達とお酒を共にしながら理解、納得を繰り返して何度も何度も頭を下げて話を聞いて歩いたのは、そのエンタメを生業にしている「西野亮廣」さんなんです。
ニヤニヤなんかしていない。
どうやったら河口湖がもっと良くなるかな、どうやったらもっとお客さんが喜んでくれるか、足を運んでくれるかをひたすら考えてるのが「西野亮廣さん」なんです。
音楽と森の美術館は変わった。
変わってしまった、じゃなく、「変わった」。
元ある美術館に新鮮な空気を循環させて、1番にお客さんの事を考えて快適に過ごせる空間を創造している。
キメ細かな寄り添いサービスは人件費を生み、それが運営コストを逼迫させて、積もって年間赤字を生み出してしまう。
数年で美術館が閉館になる所を、1つ1つの見直しから立て直したのが西野さん率いる、その「プペルチーム」です。
もっとちゃんと見てほしい。
【100年前の貴重な全自動楽器たちをゴミ同然に扱い、自分たちのエンタメの背景にすり替えた。】、という文があって、事実と異なる発言に悔しさが込み上げる。
慣れ親しんだ場所が変わってしまうのは、その地を好んでいた人からすると「変えられてしまった感」が強くなり、「愛情がまだ乗っていないコンテンツ」に対する嫌悪感をより一層増幅させてしまうのだな、と思った。
そして楽器をゴミのようになんか1度だって扱ってなんかいない。
私はそれが悔しい。
悔し涙が止まらないくらいに悔しい。
こんなのあんまりだよ。
倉庫に眠っていたオルゴールたちを連れ帰り、オルゴールの仲間が集まる空間に再生展示している。
壊れたオルゴールを連れ帰り、新たなお客さんを迎え入れるお仕事をこのコたちに提供している。
ゴミ同然に扱い?・・・
改めてこの文章を読み、先ほどの疑いの気持ちがやはりそうなのかも、と思えてきた。
【自分たちのエンタメの背景にすり替えた】疑いが確信になり、思いたくないけれど、そうなのかな、と思えてきた。
地元の一般客にしては、あまりにも内部の事を見すぎて知りすぎている。(14時47分。)
西野さんと一緒ににみんなで美術館内を歩くツアーに参加した時、運営、事業の立て直しの話をしながら西野さんが「嫌われますよ」、と語っていた。
どこか少し寂しそうでもあり、その役を一手に引き受けているのと、それ以上にその場で、変革によって仕事が閉じる人への、その人達への気持ちに心を痛めているように感じた。
立て直し、改革は、閉館まで追い込まれる所からの変革には、少しのダマシ改革では追いつけない。
エンタメに詳しい人の大きな改革が必要で、お客さんへの細かなヒアリングと中で働く美術館スタッフとの意見交換を積み重ねながら歩いてきた6カ月。
【毎年計上していた年間3000万円の赤字も潰し、集客に関しても、8月9月はコロナ禍以降過去最大を記録するなど、いろいろと貢献させていただいておりますが、CHIMNEY TOWNは「プロデュース料」めいたものは1円も受け取っておらず、半年間、ボランティアでやらせてもらっています。】
とブログに書かれていて、この事が全てなのだと思った。
立て直しの1番嫌な役を買ってくれたのが、西野さんなんだ、という事を分かってほしい。
言葉の選び方次第で事実が大きく曲げられ、私も含めての個人の感情によって真実のありかがどこなのか迷ってしまう。
でも、その時確かなのは、そこにある「感情」は本当なのか、偽りなのか、の見極めであり。
強い言葉を発してきても、そこの後ろに何が隠れているのか、とか。
それが本心なのか、何かを隠して偽りの言葉を並べているのか。
悔しい、とか悲しいとか嬉しいとか、これがしたい、とか色んな感情があるけれど、感情を押し殺して生きるのは辛いだろうな。
経営者の方達は、みんなを引っ張っていく責任を背負って、いつでも強くある事が求められる職業ですが、「辛い、苦しい、悔しかった、悲しかったな」という感情も閉じ込めないでドンドン出せたらもっと楽になれるのにな、と思う。
感情に蓋をして偽りのまま生きてると、段々とその偽りが自分を攻撃してきてしまいます。
自分についた感情の嘘は、自分を攻撃してくる。
嫌な時はイヤだー、と全感情をオープンにしましょー☺🌸☺
溜め込まない、というお話でした。
おかえりなさい。
今日も昨日もその前もお仕事お疲れ様でした!
2026年10月10日(土)
今は午後の15時28分。