夜中の1時20分。
今日はサンマを食べた。
焼きたてを食べられるのって、幸せな事だったんだなぁ、と思った。
いつも出来立ては私で、下がったサンマをレンジしてたんだなー。
これからは逆ね。
チンは焼きたてにあらず・・・だね。
この前「Bottle George」という短編映画を観に行ってきた。
この物語に出てきそうな空間のシアターで不思議な空間だった。
短編映画は先日「こまねこのかいがいりょこう」という作品を観に行ったばかりだったので、登場人物のセリフが無い事にもすんなり入れた。
綺麗な街並みが映し出されて、こんな場所に住んでみたいな〜なんて楽しく見ていた。
チャコ、猫、ボトルの中の毛虫、と、それぞれのキャラクターの個性が際立っていて、それぞれに何かしらの役割があるようだった。
雰囲気がガラリと変わったのはお父さんが帰ってきた辺りから。
棚にあるものをガシャガシャと乱暴に取り出しながら何かを探している。
その様子、後ろ姿が怖い。
その後、街の地べたに横たわる後ろ姿が悲しい。
それを見つめるチャコの顔が寂しそうで悲しい。
同じ毎日を繰り返しているのかなぁ、と思った。
今の現状と真剣に向き合うほど自分の落ちぶれた惨めさが鮮明に浮かび上がってくるようで、露わになった
何も無い自分の姿が、矢のように突き刺さる。
それを受け止められる精神の支え力が追いつかなくて、もがいて、落ち込み、アルコールに流れる、の悪循環から抜け出せなくなってしまうのだろうか。
そこから抜け出そうともがく映像が一番印象的だった。
もがけばもがくほど、アルコールというヘドロのようなものが、立ち直り、やり直そうと這い上がる者に絡みついては行くてを阻む。
何度も何度も抜け出そうともがいて、坂を転げ落ちていく姿は、見ていてとても辛く涙が出る。
アルコール依存は、家族の愛なんてふわっとした物なんかじゃ救えないんだな、と思った。
依存症の恐ろしさは死ぬまで続く、終わりの見えない道を歩き続けることなんだろうなぁ、と思った。
治ったようにみえても、また、少しの感情の揺らぎによっていつでも引き戻されてしまうのかもしれないなぁ、と、恐ろしく思えた。
愛では依存症は救えないと思うけれど、でも伴走者は必要なんだろうなぁとも思えた。
伴走者がいなければきっと、落ちてく一方なのかもしれない。
この物語は、まだもがきの中なのだと思うけれど、「希望の子」を守れる日が来る事を願っています。
チャコが笑える日はいつ来るんだろうか。
人それぞれ、何がきっかけでなんの依存症に陥るのかは分かりませんが、希望を捨てず戦い続けてほしいなと思います。
夜明けはきっとくるから、と、無責任な事を伝えたいです。
そして、
いつまで腐ってんだよ。
お前が守りたいものは何なんだよ。
さっさと顔洗って床屋行ってこいよ!
と、伝えたいです。