只今20時59分。
夜だ。
今日は配給とは、というおはなしを。
西野さんのブログを読んだ。
読んでからずっと考えていた。
映画を「届ける」という事がそんな簡単なものではなく、どうなるかの予測がつかない、という事を少し理解できたような気がした。
その中で、主題歌を前作と同じロザリーナが歌う「えんとつ町のプペル」にした事。
やっぱり「えんとつ町のプペル」、となると、どうしてもあの声を、曲を望んでしまいます。
そして「帰ってきたなぁ」という気持ちになる。
映画のプロモーション、というものが色々とあるのかもしれませんが、みんなの「聴きたい」が最優先になった。
そして今回の映画では、事業投資型クラウドファンディングも併せ持っている。
これは、
『映画 えんとつ町のプペル 〜約束の時計台〜』に投資という形で支援してくださった方に対し、映画の売上などから利益を分配する、というもの。
投資という形から、この映画を「自分ごと」とし、「届ける」に意味を宿し、届けるの後押しの力を起こさせる。
それは大きな「助け」にもなるけれど、最後のシュートはどうしても西野さんへ、となってしまう。
この事が「助け」になるか、「脅威」に傾くのかは、映画初日の様子を見てみないと予測もつかない。
映画を届ける、とは、こんなにも怖いものなのか、と今日、ほんの少しだけ理解できたような気がする。
私はどこかで「西野さんなら・・・」と、思っていた。
でもそのちょっとした想いや期待は「そうゆう結果に必ず持っていかなければならない」という見えないプレッシャーを与え続ける行為だったのかもしれない、と思った。
もちろん人の期待がなければ走る原動力にはならないのだけれど、それが過度に感じられるとなんとも言えない見えない煙に覆われてしまうようで、息苦しさを感じさせてしまうのかもしれない、と思った。
難しい所です。
今回「配給」にも参加する、と決めたのには、配給側もやる事で人に任せるのではなく、出来る事がないのかをより近くで試行錯誤し、より迅速に、きめ細かく対処出来るように内側からの景色から見えるものをすぐにキャッチできる為なのかな、と想像した。
本当の所は分かりませんが、お任せではなく、「自分の映画を届ける」をCHIMNEY TOWNで本当の「自分ごと」にして、熱を持って「届ける」をするのだな、と。
今まで映画はぼんやりと、ただ観に行くだけのものでした。
でも私もこの『映画 えんとつ町のプペル 〜約束の時計台〜』
https://poupelle.com
に出資した1人として、みんなの船に乗っている。
映画が公開される2026年3月27日(金)まで、自分にできることがないか考える。
この映画を沢山の人に届けたいです。
前作の時もどこかで同じ事を書いてしまったかもしれませんが、それでも無責任な事をまた言ってしまう・・・。
「周りの人を大切にする人は最後には必ず勝つ!」
1日の終わりに、西野さんが安心して眠れますように☆
覚悟、というお話でした。
おかえりなさい。
今日もお疲れ様でした。
2025年11月8日(土)
今は夜の23時21分。