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エンタメの世界

只今4時03分。夜中だ。

外の鳥もお眠り中だからホントに静か。

今は4時31分。外が明るくなってきた。

カラスも鳴き始めてる。

今日はまだ名前のついていない感情、というおはなしを。

今西野さんの投稿を読んだのですが、作品づくりに関する想いが書かれていた。

周りの人たちが「こうゆうものを作った方が良いですよ」というアドバイスを出す中、自分が作りたいものをひたすら作っていた、と。

「ゴミ人間と煙突掃除屋の友情物語」。

キラキラとした話が求められる中、知らないキャラクターと知らないキャラクターの友情物語に飛び込んだ。

人から見たら「知らないキャラクターの物語」なのですが、これは「西野さんの物語」であって、ゆくゆくはこうゆう思いをした人達の物語、となって浸透していった。

始め、の一歩から歩き出し、ひたすらに歩き続けていってそれを形にしていく凄さが伝わってきた。

よく、何かの商品開発にしても、人のニーズを考えながら商品化していかないと全く売れない物を作る事になる、という。

多くの人が求める需要があるものを考える作業が商品開発だとされる中で、全くの、需要が見込めないものに飛び込む決断はどこから来るものだったのか、と考えた。

「そんな物語を作っても・・・」という周りの冷ややかな視線を浴びた日もあったのでしょうがひたすらに進んでいった。

周りからしたら、無謀な挑戦のようにみえるかもしれないけれど、これはただの無謀なハチャメチャ行動ではなくて、考えぬかれた行動の一つ一つが集まったものなのだろうなぁ。

しまっておいた遠い昔の記憶とその中にあるかすかな感情を探し出す。

真っ暗な洞窟の中を1本のローソクの光を頼りに歩くような感じなのかな。

登場人物の中に自分を探して当てはめられるようにキャラクターを生み出していった。

なかったはずのニーズを、「有るニーズだ」、と気付かせる為の細かな作業も散りばめられているのだろうなぁ、と。

エンタメの仕事は「まだ名前のついていない感情」を見つけて、「まだ誰もやっていないこと」に飛び込んでいくこと。と書いてあった。

その先に人の心を震わせる「感動」がある事を誰よりも分かっている西野さんの言葉には説得力しかないなぁ、と思った。

西野さんの投稿の最後には「世界の誰も見たことがなく、かつ、誰も作ろうとしないものをこれからも作っていきたいな。」と書かれていた。

まだまだ作りたいものが溢れてくる頭の中にはどんな世界が広がっているのだろう、とワクワク気分が止まらなくなる。

あの日産まれたゴミ人間プペルと煙突掃除屋のルビッチは、今現在ブロードウェイの村人になり、あの大きな扉を開く鍵を渡されていつでも自由に入る事を許された。

西野さんの凄さ、というお話でした。

おかえりなさい。

今日もお疲れ様でした。

2025年7月8日(火)まだ8日。

今は朝の6時57分。

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